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第一回渡愛ひとり旅 1998 TOP> 09北へ(第49回〜54回)
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01 はじめに (第1回)
02 出発→LONDON(第2〜7回)

03 アイルランド上陸(第8〜14回)
04 ダブリンへ(第15〜19回)
05 ATHLONE→GALWAY(第20〜23回)
06 CLIFDEN(第24回〜31回)
07 CLIFDEN2(第32回〜第40回)
08 アイリッシュ・ミュージック(第41回〜48回)
09 北へ(第49回〜54回)
10 KILCAR・CARA'S HOSTEL(第55回〜59回)

11 海こえて(第60回〜68回)

12 BRAY・イーリアンパイプス(第69回〜72回)
13 CLIFDEN ART FESTIVAL(第73回〜78回)
14 再びBRAY・イーリアンパイプス(第79回〜87回)
15 さらば、アイルランド(第88回〜94回)
16 最終回おわりのことば
 


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 ■第49回 17.August 1998/Achil Island→Sligo■


【8月17日 第49回】
10:38のバスでアキル・アイランドをあとにした。ナツコさんの具合はかなりよくなっていて(前日から風邪ひいていた)、SPAR(※1)のバス停まで見送りに来てくれた。
バスの中、乗客は僕とあともう一人だけ。車中にエリック・クラプトンの「Change The World」が流れていた。アキルでの出会いと体験を思い出して、涙でそうだった。

ウェストポートについたはいいが、次のバスまで3時間待たなければいけない。とりあえずお金が足らないので両替。タバコなど買ってパブのなかで一杯飲んで待つ。次の目的地スライゴー(※2)のホステルに電話したら、相手がなに言っているのかわからず困った。たぶん20:00過ぎたらダメよ、と言っていたのだろう。スライゴーには19:00着予定。ちょっと心配。(※3)
スライゴーまでのバス、シングルIR£9.70(約1,940円)払って出発したが、しまった…時刻表ちゃんと見てなかった。途中のノック(※)というところで「乗り換えだから、スライゴー行きのやつは降りろ」と言われ、どうしたらいいの?と聞くと「この道下ったところにあるバス停から乗れ」と。歩いていってバス停で、時刻表見たらなんと1時間待ち!?はじめは僕だったけど、そのうちゾロゾロ人が集まってきた。

なんとかバス乗ってスライゴーへ。駅からさぁホステルへに向かって歩くが、重い荷物背負ってるし遠い!知ってる通りのところまできたけど、一向にホステルらしきものが見当たらない。仕方がないので売店に入ってにいちゃんに尋ねてみたが、答えたのは隣にいたお客のおじいちゃん。「ホステルか!?赤い門だ。赤い門をさがせ!ココをもっと先に上っていって右を見るんだ」とずいぶんと丁寧に教えてくれた。おじいちゃんありがとう!
そしてやっとみつけました。昔の館をホステルにしたようなところ。すんごくキレイ。荷物降ろして町の下見。ファーストフードがあったので、そこで必殺スナックボックスを食べ、パブで一杯飲んで寝ました。まだ11:00…。

※1 SPAR…いわゆるコンビニ。日本ではHOT SPAR。元はオランダの食品卸業者。アイルランドにはSPARの他に「CENTRA」など万屋がある。ちいさな集落だとパブが万屋を兼業している。

※2 スライゴー…Sligo北西部の街。文学・芸術で有名な街。

※3 スライゴーには19:00着予定。ちょっと心配。…
ヨーロッパ旅行をされた方はご存知と思うが、ここアイルランドでもバス・電車は遅れることが大前提だ。1時間ぐらいは平気で遅れてくれる。

※4 ノック…KNOCK(Co.Mayo)メイヨ県の真中あたりの町。

第50回・8月18日へつづく…

 

 ■第50回 18.August 1998/Sligo■

【8月18日 第50回】
ギル湖に行こうとしたが、自転車を借りるお金が惜しい。地図を見たらまぁ歩けるかな?とおもってお弁当買って出発!
歩く歩く、片道2時間!道中きれいな風景が続く。きもちいなぁ。
この国では大型トラックのにぃちゃんとか労働者が、歩いてる僕に向かって手で挨拶してくれる。本当に嬉しいですね。
帰りに坂の上のお庭のきれいな家の前でおばあさんに会った。

「ホラ、みてみなさい。今日は本当に美しい日ね。あの島もキレイでしょう。お天気もよいこと。どこから来たの?まぁ日本から?すばらしいわ、日本人はすばらしい人たちよ。あなたの旅が美しいものになるように。神の祝福を。」

そのおばあさん、LOVERYを連発して、最後には「God Bless You」と祝福してくれた。ありがとう!ぼくの旅が美しいものになるように!

第51回・8月19日へつづく…

 

 ■第51回 19.August 1998/Sligo■


【8月19日 第51回】
昼からナターシャ・ナツコさんと、キャルロウモアの遺跡を見に行った。歩いて1時間ぐらい、けっこう近いのね。道中色々なところにドルメンやストーンサークルがあって、キャルロウモアのビジターセンターよりそっちの方が面白かった。センターから離れたところのいちばんきれいなストーンサークルの所で二人で草原に寝ころんで、おおきな空をボーッと見ていた。

スライゴータウンに戻ってからは「カフェ・クロール」と称してカフェを回ることに。スライゴーはイェイツのゆかりの地、ということで本屋が多い。しらなかったけど、W.B.イェイツの弟、ジャック.B.イェイツは画家と言うことで、画廊、画材店も多い。ジャック.B.イェイツの常設展やその他地元画家の個展も見に行ってみた。ジャック.B.イェイツの絵はアイルランド人の生活を描いてあって、すごい好きになった。
夜はおとなしく外出せずにギター弾いてました。しかしスライゴーにいた3日間ず〜っと晴れというのも、アイルランドに来てから初の快挙だ!

第52回・8月20日へつづく…

 

 ■第52回 20.August 1998/Sligo→Letterkenny■

【8月20日 第52回】
アキル・アイランドにいる間、テレビも新聞もなかったので、この事件のことはスライゴーに来てから、ホステルのテレビで初めて知った。
1998年8月15日、英領北アイルランド、タイローン県の街、OMAGH(オマー)で、Real I.R.A.(リアル・アイ・アール・エー)と名乗るグループが仕掛けたと言われる爆弾が、買い物客で賑わう午後3時オマー市街中心地で爆発、28人の尊い命を奪い、重軽症者も約220人にのぼった。
この年の4月10日英・愛両政府による「北アイルランド和平合意」が発表され、5月22日和平合意の賛否についての、南・北アイルランド住民投票でも賛成多数で、確実に平和へ歩み始めていただけに、この事件は世界中を驚かせた。

まさか自分がアイルランドにいる時に、このような悲惨な事件がおこるとは、ほんとうにショックだった。

1kmの道を重い荷物背負って駅まで歩く。ナターシャ・ナツコさんはBallyforryというところに「トラデッショナル・ミュージック・ホステル」というのを見つけて(※1)行きたがっていたが、街から2〜3kmということが判明、あきらめて僕とドニゴール北部の中心地LETTERKENNY(レタケニー)に行くことに。
レタケニーのフェスティバルは数日前に終わっていたことも判明、おとなしく3日間休むつもり…が!?その夜とあるパブでセッションがあり、とのことで見に行ったことから事は始まった!
なかなかうまい人達のセッションでいいなぁと眺めていたら、「あなたたち日本人ですか?」と呼ぶ声!? 外国人で日本語話せる人には何人にも会ったので驚きはしなかったが、その人はなんとイーリアン・パイプスを持っている!セッションに参加しにきたんだって。
それがまたエライ気のいいオッサンで、「客が聞いていない」と言ってさっさと楽器を片付け俺らのところに来て、日本語話すの懐かしい、と嬉しそうに話し掛けてくる。1985〜'88年ごろまで東京に住んでいたという。しかも高円寺にもいたとか!?(※2) 日本をとても気に入っているらしく、日本人にあえて嬉しい!としきりに言っていた。
明後日は彼の誕生日なので「ぜひ家に来てくれ」と招待された。その日はあのオマーの悲劇からちょうど一週間、オマーにも行こうと誘ってくれた。さぁ大変なことになってきたぞ!

※1 Ballyforryというところに「トラデッショナル・ミュージック・ホステル」というのを見つけて…
  うろ覚えに日記に書いたのでたぶん間違い。Ballybofeyバリーボーフィだと思う。今でもあるのか…不明。

※2 高円寺にもいたとか!?…
   東京都杉並区高円寺。ぼくも学生時代高円寺に住んでいたので、懐かしいんです。

第53回・8月21日へつづく…

 

 ■第53回 22.August 1998/Letterkenny⇔Omagh 【前編】■

【8月22日 第53回 前篇】
昨日21日は特に何もなかった。ローナンがセッションやっていると言っていたパブは、なんか違うバンドがやってたので、あきらめて他のパブに行って一杯飲んで帰った。

今日(22日)は「オマーの悲劇」からちょうど一週間目。ローナンの提案で、オマーの街へ行く。
しかも今日は彼の誕生日。街のポンドアンドペンスショップで荒らしまわりながら写真のフレーム、サングラスなど買って、家で彼がインドに行ったときの写真を飾ってた。なかなかよい家だ。テープ、CDなど興味深いもの多し。
そして彼は忙しそうに「誕生日だから10分ぐらい泳ぎたい」と言って、市民プールで泳いでいた。一緒にいた彼女も「まったく子供みたい…」と呆れ顔。三人で彼の泳ぎを呆れてみていた。

僕とナターシャナツコさん、ローナンの彼女とローナン、は車でオマーを目指す。彼の家にしばらく居候しているフランスの19歳コンビ、チボーとオリビエは、「ヒッチで行け」といわれて可愛そうに、ヒッチハイクでオマーを目指す。オッサン飛ばす、飛ばす!普通の道路なのに130kmは出して走ってた。
ライフォードの街にある川の向こうに国境。車で難なく通っちゃったから、こんなもんか、って感じ。車で行くにはぜんぜん問題ないのに、なんで国境なのかなぁ…。今回の事件は、I.R.A.とは別のグループReal I.R.A.が今回の行動を認めたらしい。他にもたくさんのグループがいるらしい。

オマーに近づくと警察が増えてくる。車で町に入れないので、近隣の駐車場に止めて、今日のための送迎バスに乗って街へ。事件があったのはPM3:15。すでにたくさんの人が追悼に集まってきて中心部に入れないので、街からちょっと外れたところの広場に。ここにもたくさんの人たちが、街頭スピーカーから聞こえる市長や祭司の言葉を、うつむいてじっと聞き入っている。いい天気で暑いくらいなのに、この街の上空にだけ黒く、厚い雲が垂れ込めている。集まった人々の気持ちがつくった雲なのかな…。
PM3:15に一分間の黙とう。「皆で平和を誓い合ってください」という言葉で、周りにいる人々と握手をしあい、平和を誓い合う。
そのあと順番に事件のあった中心街へ。たくさんの参拝者の間をぬって、花束で溢れかえっている通りを、犠牲者の方々の写真を一枚一枚眺めてゆく。T.V.も来ている。
いつまでたっても人間はやさしくなれないのかな。自分も人間だから、人間ってそんな馬鹿じゃない、って信じたい。

後編・第53回・8月22日へつづく…

 

 ■第54回 22.August 1998/Letterkenny 【後編】■

【8月22日 第54回 後篇】 
レタケニーの彼の家に帰ってからは、彼の誕生日会のために味噌汁を作ることにした。ナチュラルフーズの店でミソや昆布や豆腐を買ってくる(なんでも売ってるぜ!?)。
一度ホステルに戻ってメシ食ってから夜10時に再び彼の家に。まだ誰も来ていないが味噌汁の仕上げをしてギネス飲みながらHAPPY BIRTHDAY!!そのうちゾロゾロ人が集まってきて、次第にすごい騒ぎに。フランク・ザッパやロビー・ハノンやブルースを大音量でかけながら酔っ払った人々が踊りだす。僕はサンドイッチ食ったり酒飲んだりいろんな人としゃべったりレコード時々変えたり。ナターシャ・ナツコさんはワイン飲んでいい気分なのに、さらにスミノフまで入れてもっと上機嫌。そのうち会場にヨカラヌモノまでまわり始めて、ナツコさん「気分悪くなってきた」と言い始めた。
ときすでにAM5:00!?こりゃヤバイ、お先失礼。
ナターシャ・ナツコさんフラフラ歩いてる…。明日移動日だぞ!?起きれるかな…?

第55回・8月23日へつづく…

 
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