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  Diary > 第二回渡愛 2003年あっしー&はるみの旅


01 はじめに(第1回)
02 11月17日Mon.(第2〜4回)
03 11月18日Tue.(第5〜9回)
04 11月19日Wed.(第10〜12回)
05 11月20日Thu.(第13・14回)
06 11月21日Fri.(第15〜18回)
07 11月22日Sat.(第19・20回)
08 11月23日Sun.(第21・22回)
 

第5回第6回第7回第8回第9回

 

 ■第5回  2003年11月18日 / DUBLIN→■  「真っ赤なラブリー・カー!?」
【11月18日(火)第5回】

昨晩B.B.まで送ってくれたラリーは、次の朝8時(しかもちょっと前に)本当に迎えに来た!
勝手知ったるB.B.みたいに建物横の駐車スペースに乗り入れ、出てきた僕らに早く乗れ、早く乗れ、とせかす。なんかはりきってるな。
彼の車に乗りこみ、モンクスタウンからどこかわからないところへ連れて行かれる。
 
「でもラリー、僕たち日本からインターネットを通して車を予約してるんだよ」と僕が言ったら、
「どこのだ?ハーツ!?そんなとこ断りなさい。今から連れていくところの方が絶対サービスいいから」と返され、
「はぁ…」と言葉もなく引き下がる。

ついた所はレンタカー屋さん。「COUNTY CAR RENTAL」と事務所の屋根に書いてある。
事務所に入りにこやかに挨拶してくれたのはMr.バーナード・ロックランさん。日本語の名刺もあるんですよ、と英語の名刺の裏にはなんと日本語でお名前も。説明も聞いて納得したので、だまされることもなさそうだしココで車を借りることになった。
2人だけなので1000ccクラス、今日火曜から土曜日まで5日間、対人対物保険もかけて、合計276ユーロになった。まぁまぁ安い方ではないかと思う。

さて車種を選びに外に出る。車選びをお手伝いするのは、70年代ヒッピーの生き残りのようなソバージュロン毛のお兄さん。自分たち借りるクラスの車たちを見て「外車の運転はしたことないけど、なんとなくドイツ社に乗っていたいな〜…」とオペルの車を見に行こうとしたら…

「コレだ!この“赤いラブリーな車”がイイ!これが君たちにはピッタリだぜ!」

と背後から大声で呼び止められる。振り返って見てみれば、そこには真っ赤なイタリア車!
いや〜別に悪くないんだけど、なんとなく僕は真っ赤な車って恥ずかしいな〜、なんて思いつつも、彼の高いテンションにタジタジ。もう車種なんてどうでもよくなってきちゃって、または2人とも気が弱すぎて、“真っ赤なラブリー・カー”フィアット・プント3ドアに決定・・・。

ひとつだけこだわったのはマニュアル車であること。日本では乗用車からトラックまでほとんどオートマ車になってしまっていて僕はつまらないなと思っていたから、この機会にマニュアル車を堪能しておきたかった。CDは「このクラスの車には搭載していない」と説明を受けたのであきらめた。ラジオがついていたのだが、アイルランドにどんなラジオ局があるのか知らなかったので(RTEしか知らなかった)、事前に調べてラジオも楽しめば良かったかな、と後になって思った。

さて契約終了。9:30頃レンタカー屋を出発。久しぶりのマニュアル、ギアを入れる感覚が気持ちいい。それよりもなによりも、アイルランドを初めて自分で運転しているのが嬉しい。「ダブリンに行くんだろ。ダブリンに行く道まで案内するよ」と僕らの車を先導して、大通りのN11に出たところでダブリン方向を指さし、窓から手を振ってラリーは右折していった。突然のレンタカー屋だったが、紹介という形で借りられたのは助かったかも。なにしろ英語だめだしねぇ。ラリー、ありがとう。

その後ダブリンの街を少し見るためにセント・スティーブンス・グリーン(※)の裏手に駐車。まずしなければいけないこと、ハーツ・レンタカーにレンタル・キャンセルを伝えなければいけない。当日キャンセルだからいくらか取られるかな…? 電話ボックスから恐る恐るキャンセルすることを告げると、
「O.K. わかりました」
で終了。えっ?それだけでいいの?


11月18日 第6回に続く…

※ セント・スティーブンス・グリーン …
St.Steven's Green。グラフトン・ストリートの南端の先に広がるダブリン市民の憩いの公園。噴水があったりベンチがあったり、5年前に来た時もよく芝生に寝転びに行った。グラフトン・ストリート南端と公園北口接点に「セント・スティーブンス・グリーン・ショッピングセンター」というステキな吹き抜けのビルがあって、ここの喫茶店で休むのもステキな体験でした。

 

 ■第6回  2003年11月18日 / DUBLIN→■  「アイルランドで車の運転をしてみよう!」
【11月18日(火)第6回】
 
今回はアイルランドでの車の運転について。
詳しいことは上のイラストに描いちゃったので、その他のことを少し。
アイルランドに限らずヨーロッパ諸国やその他の国々でもそうだろうけど、日本以外では本当にボロボロになるまで車を乗り倒すような気がする。前回5年前の旅の時には車に乗せてもらうことが多かったが、どの車ももうほんとボロボロだ。へっこんでいるのからバンパーないのからどこか欠けてる(?)車まで平気で走っていた。車は壊れるまで使う、とある人も言っていた。
そういえば今回(2003年)の旅ではそういった車を見た機会が少なかった気がする。アイルランドでも裕福になってきたのかしら?

アイルランドには電車も走っているが、カバーしている地域が限られているので、アイルランドの人々の生活には車は欠かせない。車でしか行けない町や村も数多い。免許を持っている人は多いが、ない人や車を持っていない人はヒッチハイクで移動する。

田舎のはずれのパブで夜のセッションに行く時は注意が必要。本当に暗くて先が見えない。羊や牛が、あるいは人が急に出てくることもあり得るので、ゆっくりと走るのがいいと思う。


11月18日 第7回に続く…


“真っ赤なラブリー・カー”フィアット・プント3ドア。
この旅では僕らの足として本当によく走ってくれました。

 

 ■第7回  2003年11月18日 / DUBLIN→GALWAY■  「ゴールウェイへ・タクさんに初めて会う」
【11月18日(火)第7回】
 
ブッキングしていたレンタカー屋にキャンセルも済んで、ダブリンの街を少しだけ散策してから、次の目的地・ゴールウェイへ出発。
はじめてのアイルランドのドライブ。あぁ気持いなぁ。途中アスローン(Athlone. Co.Offaly)のバイパスにあるでっかいショッピングセンター・ガソリンスタンドで昼食を買い、移動の車内で食べることにする。そしてまた移動。
 
初めてのアイルランドの運転ではじめての東西横断。ちょっと疲れてきたぞ〜というところでいよいよゴールウェイ到着。5年前にもよく来た、懐かしい街。今回は街中心部は通り過ぎて、約束の場所へむかう。
実はゴールウェイ在住の日本人を紹介していただき、その方に会う約束をしている。その方はタクさん(田村拓志さん※1)。この方その世界では有名なフィドラーで、あっしー一人旅の時にも「ゴールウェイにフィドル一本に入れ込むスゴイ日本人がいる」と噂を聞いていたほどだ。この度ゴールウェイのセッションにお邪魔させてもらうべく紹介させていただいた訳だ。

さて15:30頃約束の場所Salthillに到着。途中から雨が降り出していたが、車から降りてみたら風も激しい。アイルランドらしい天気。海沿いの通りにポツンと立つ電話ボックスからタクさんの職場に電話。はじめは英語の受付嬢がでて、すぐに日本語が。電話ボックスからすぐ近いところらしいので迎えに来てもらいました。初めまして!

お仕事中にも関わらず快く対応してくださったタクさん。自身の勤める語学学校の奥にある休憩室でコーヒーをいただきながらすこしお話をしました。ゴールウェイの伝統音楽事情、日本でのアイルランド伝統音楽事情など、たくさんお話しました。特に重要なのは今晩のセッションに参加する“本場セッションの心得”。やはりタクさんにご紹介していただくという形だから参加できること、はじめは自分からガンガン音出していかずにセッション・マスター(※2)に声をかけられたら弾きはじめること、等。なるほど日本でも通じるセッションに参加する上での心得を伝授いただいた。紹介してくださるタクさんの顔をつぶさないためにも、気を引き締めていかないとね。

今晩の宿B.B.はSalthillの語学学校の近く。ひとまず部屋に入って今晩のセッションに備える。セッションは7時頃から、ショップストリートのパブ「ティ・コーリー」で。今晩は長い夜になりそうだ。


11月18日 第8回に続く…

※1 田村拓志さん …神奈川県出身、現在千葉県在住。19歳の時留学先・英国シェフィールドのアイリッシュパブでアイルランド伝統音楽のフィドルを見て衝撃を受け、自分でもフィドルの演奏を始めたそうです。それまでに楽器は「ギターは少し弾いてました」。フィドルの師匠から「本気でフィドルをするならアイルランドに行った方がいい」と薦められ、ゴールウェイに移り住む。それから10年ゴールウェイでみっちりドップリ伝統音楽の世界に浸る。現在は東京でフィドル教室やライブなどをされています。
詳しくはタクさんのホームページを参照ください。

※2 セッション・マスター …セッションを取り仕切っている人。パブなどのセッションの場合はセッション・マスターがいる場合が多い(家の中のセッションはいないと思う)。チューンを出したり、各自に曲だしや話をふったり、セッションの雰囲気作りも大切な役目

 

 ■第8回  2003年11月18日 / GALWAY■  「ゴールウェイのセッションその1、トム・クリーガンに再会」

【11月18日(火)第8回】
 
今晩のセッションに参加するべく、ゴールウェイ中心街・ショップストリートのパブTig Coili(ティ・コーリー)に向かう。最初どのパブかわからずに違う方を覗いたら、そこはそこでセッションをやっていた。それぞれのパブでやっているほどゴールウェイはミュージシャンが多いのかな。
目的のパブはその真向い、真っ赤なパブでした。恐る恐る中に入ると、タクさんはすでにいらしてフィドルの調弦をしていた。他のミュージシャンもいらっしゃたよう。簡単に挨拶をしてセッション・マスターのアコーディオン奏者の音からセッション・スタート。はじめの数セットは聴くだけ。タクさんからOKが出たので小さく小さく、ソロソロと弾き始める。周りの音を聞いて、この場の雰囲気の邪魔にならないように。
やっぱり本場のセッションはノリが全然違う。日本のセッションだとメロディーをなぞることに気が取られてしまうのかこのノリが出てこない。こっちのセッションはメロディーも完璧だし、その上思わず踊りだしたくなるような“ノリ”がある。後日このノリをどうやって会得したのかタクさんに聞いたところ「ん〜、自然に身に着いた感じですね。弾いているとそうなります。」とのこと。やはり現地でしか会得できないものがあるのか。

何セットかソロソロ弾いていると、恐らくこの人たちは大丈夫だろう、と思ってくださったのだろう。セッション・マスターから「曲だし」の催促。曲だしとは、演奏するチューンを皆に伝えて自分で弾いて先導していくこと。本場のセッションではお初(昨日のセッションではしなかった)!さぁ、どうしましょう…。
このとき出したセットは3つのリール:Corner House/Star Of Munster/Bucks Of Oranmore。僕たちは日本でよく弾くチューンだし恐らく皆知っているだろうとゆっくり弾き始めたら、1曲目タクさん以外だれも知らずに3人だけで弾くことに。2曲目からみんなが入ってくれて、最後までゆっくりながらいいノリで弾くことができました。日本でやってる時とは何か違う、それはやっぱりノリがあるから。みんなに弾いてもらうことでゆっくりなのにすごいダンサンブル!スゴイ、やっぱり本場は違う!

その後も数セット演奏したら、皆いそいそと片付け始めた。聞けばここのセッションは20時で終わりだそうだ。「もっと続けたければ、ここで残って少しやってから別のパブで21:30からはじまるけど、どうする?」とタクさんに聞かれ、そりゃモチロン、やります!と答える。
ミュージシャンが数人去ると、残ったのはなんと日本人3人だけ!ここゴールウェイのパブで日本人だけのセッションが始まったのだ…!

はじめは期待していなかった?パブのお客さんたちも演奏が終わるたびに拍手をしてくれた。いやぁアイルランドの本場のパブでこんなことできるなんて嬉しいなぁ。タクさんはこの日はE弦の調子がうまくあわないといって首をかしげていたが、僕らはそんなのマッタク気にせず浮足立ってた。

一次セッションが終わった後演奏者や人が減ったためパブの中がよく見えるようになった。少し奥の方に、今まで気がつかなかったが、どこかで見たことあるような人がいた(西洋人)。ん〜誰だったかな〜?え〜とアイルランドじゃなくて、日本で会った気がする…??
わかった。パイパーのトム・クリーガン(※)だ。現在は米シアトル在住、サファリン・ゲールズなどで有名な、僕の大好きなパイパー。え、でも違うかな?間違ってたら失礼だし、しかも英語で言わなきゃいけないし…とドキドキもじもじしてると、タクさんが僕に耳打ちする。

「あそこに座ってる人、すっげー有名なパイパーだぞ」

うぉ、やっぱりそうですよね!?もうこれは確かだ、と確信を持って彼に話しかけに行った(その時ちょっと興奮したのでタクさんに「落ち着いて!」と言われてしまった)。

「こんにちは、トム・クリーガンさんですよね?私はあっしーと言います。3年前あなたとピーター・ギルモアさんと京都のお寺でライブを観に行きました。大変感動しました。その後(打ち上げで)行ったパブ・fieldでお話させていただきました。」
と話かけた(と記憶している)。彼はにこやかにあぁ、覚えているよ。今日は観光?あぁ、新婚旅行!?それはオメデトウ。と言ってくださいました。家族でアイルランドに遊びにいらして、今回は楽器は持ってきていないそうです。また彼の息子(ダーモット君といいます)がフィドラーで、今回ゴールウェイの路上でバスキングしてきたよ、なんてことも教えてくれました。
あぁ、トム・クリーガンとこんなところで再会できるなんて夢のようだ。本当にうれしかった。

その後も2〜3セットぐらいやったかな。日本人3人組がちゃんとアイルランド音楽を演奏しているのでだれかに「バンド名つけなよ」と言われ、これに答えてタクさんが、
「じゃぁ、TOKYOにしよっか!?」
と提案、みんな爆笑。周りから色々な変なバンド名が飛び交った。
「KATANA」
「GEISHA」
「TSUNAMI」
「TOKYO PRETTY KANGAROO」
「KYOTO」
「Kyotoって日本の首都だっけ?」
「違う、首都はTokyoだ!俺は行ったことあるから知ってるぞ(トム・クリーガンが言った)」
「日本の花って何?」
「ん〜、桜かな(Cherry Blossom、これはタクさんが答えた)」
などなど…大変盛り上がりました。
さて時間がきたのでティ・コーリーでのセッション終了。次のセッション場所に移動。
途中から入ったオーストラリア人の女性フィドラーや熱心に聴いていたアメリカ人のアコーディオン弾きの人たちと少ししゃべってから、盛り上がりのパブを去りました。トム・クリーガンは飲んでから帰る、と言ってました。

さぁ次のセッションへ。夜はまだまだつづく…


11月18日 第9回 に続く…


※1 トム・クリーガン …Tom Creegan。ダブリン育ち。「The Suffering Gaels」などの活躍で有名なイーリアン・パイプ奏者。1999年ギタリストのピーター・ギルモアさんと2人で京都のお寺・法然院でコンサートし、あっしーとハルミふたりで観に行った。このときのライブは本当に感動しました。現在はアイルランドに戻られたと聞いてます。レオ・ロンサムのコンサート・ピッチを主に使用しています。本当に素晴らしい音色。また彼の演奏が見たいものです。
http://www.crumac.com/bio/260
http://www.flickr.com/photos/24228149@N00/299891454/
↑Flickrのは2006年ミルタウン・モルベイでの写真だそうです。手前の男性がトム・クリーガン。


YouTubeの動画があった。参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=VrZ6Jo7wIBg

 

 ■第9回  2003年11月18日 / GALWAY■  「ゴールウェイのセッションその2、クレーンでのセッション」

【11月18日(火)第9回】
 
21:30前にCrane Bar(クレーン・バー)に到着。2階に上がると、広いスペースの真ん中にセッション席が設けられている。周りには飲んでるお客さんがずらり。ひゃ〜この中で音出すのか。みんなに聞かれているようで、恥ずかしいなぁ〜…。
そんな心配もしたにはしたが、始まってしまえば周りの目は気にならなくなった。ただセッションマスターや他の演奏者の音を注意深く聞いて、邪魔にならない伴奏を心がけた。なんせ本場でセッションしてるから、まわりのミュージシャンへのほうが緊張した。
なん回かいいセット、いい伴奏ができたと思う。セットが終わる度拍手をもらえるのがすごく嬉しい。しかも「あ、今のちょっとマズかったかな」って思った時のは拍手が小さく、「うまくいったかな」と思ったのは拍手が大きかった気がする。う〜ん、これってオレだけそう聞こえるのかな?
セッション中の色々な場面は、演奏に夢中であんまり覚えていない。一個だけ、タクさんに「次のセットやって」と言われて、何しようかとマゴマゴしているとフルートの人に先こされたことだけ覚えてる。緊張したけど。面白かった。いい経験ができた。

終わったのは12:00ぐらいになってたと思う。タクさんは他のミュージシャンと話しているのでちょっと離れたところで楽器をしまって待っていると、今日のセッションマスター、ボタンアコーディオン奏者のおじさんがCDを僕らに渡してくれた。今日一日ずっとムス〜っとした顔でいたから「怖い人なのかな」と思って話しかけもしなかったが、いまはニッコリしている。
「今日は来てくれてありがとう。これは僕のCDだ。記念に持って帰ってくれ。」
そのCDを見ると、あ、ジャケットにおじさんの顔が。名前がわかった。ジョン・オハロランさん(※1)。
思いがけないプレゼントで、本当にうれしかった。よくよくお礼を言いました。

外は雨が少し強くなっている。帰ろうかとおもっていると
「ボクの家スゴイ近いんすよ。寄ってきません?」
とタクさんがいうのでついついお邪魔しちゃいました。だってタクさん、明日仕事でしょう?
「少しぐらい遅刻したっていいんすよ。だってオレ、エライから。」
はぁ〜、そうなんすか…ではお言葉に甘えて。
本当にパブから近くのフラット2階へ。彼女(後の奥様)がもう寝ているらしいので静かにリビングへ。タクさんが日本茶を作ってくれて、ホッとひといき。外は寒かったからうれしかった。
「これ、すごいっすよ。こっちのTVでやってるのを、僕こまめにビデオ録ってるんすよ。」
といって見せてくれたのが、なんとボシー・バンドやデ・ダナン(※2)等のTV出演時の映像。おぉ!動いてるの初めて見た!
その他ビデオやCDなども見せてくれた。その数がすごい。CDも聴いたことのないものばかり。これらはタクさんがここを拠点に音楽活動をし、練習や研究のために何度も聴いてきた“宝物”なのだ。彼の音楽に対する、本当に熱心な姿勢が見れた。
あのフィドルの音、リズム感、本当に日本人とは思えない。もうゴールウェイに住んで10年になるそうなので、もうアイルランド人みたいなものなのかな。でもなぁ、音だけ聞いてるとアイリッシュなのに、顔見るとスゴイ日本人なんだもん。そのギャップがなんとも…
本当にお世話になりました。ありがとうございました。もう遅いので失礼しました。

そこからB.B.まで行く間、飛ばされるんじゃないかってくらいの激しい雨風だった。全身びしょびしょになってなんとか部屋に到着、シャワー浴びてすぐ寝ました。

明日はクレアのエニスへ。起きれるのか…!?

 
11月19日 第10回へ続く…

※1 ジョン・オハロランさん…John O'Halloran。コネマラ地方の西端、クリフデンよりさらに西の海に浮かぶイニシュボーフィン島(1998年の旅の時に訪れた、あのスバラシイ島!)出身。シャロン・シャノンとの共演で有名になったデジ・オハロランさんの従兄だそうです。彼のアルバム「But why,Johnny?」は本当に素晴らしいアルバムです。是非。
http://celticgrooves.homestead.com/CG_OHalloran_John.html

※2 ボシー・バンドやデ・ダナン …Bothy Band and De Dannan。両方とも有名なアイルランド伝統音楽を演奏するバンド。ボシー・バンドは80年代に大変人気があり、いまは解散している。デ・ダナンも70年代から活躍し、もう解散状態だと思う。両バンドともメンバーがスゴ腕ぞろいで、いまでも人気がある。

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