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第一回渡愛ひとり旅 1998 TOP> 13 CLIFDEN ART FESTIVAL(第73回〜78回)
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01 はじめに (第1回)
02 出発→LONDON(第2〜7回)

03 アイルランド上陸(第8〜14回)
04 ダブリンへ(第15〜19回)
05 ATHLONE→GALWAY(第20〜23回)
06 CLIFDEN(第24回〜31回)
07 CLIFDEN2(第32回〜第40回)
08 アイリッシュ・ミュージック(第41回〜48回)
09 北へ(第49回〜54回)
10 KILCAR・CARA'S HOSTEL(第55回〜59回)

11 海こえて(第60回〜68回)

12 BRAY・イーリアンパイプス(第69回〜72回)
13 CLIFDEN ART FESTIVAL(第73回〜78回)
14 再びBRAY・イーリアンパイプス(第79回〜87回)
15 さらば、アイルランド(第88回〜94回)
16 最終回おわりのことば
 


第73回第74回第75回第76回第77回第78回

 ■第73回 15 .September 1998/Clifden■
【9月15日 第73回】
朝おきたのは遅かったけど、余裕もって出発できた。ナツコさんがクイーンズワース(※)まで送ってくれた。
DARTでコノリー駅まで、バスでゴールウェイまでリターンIR£10。今日一日バスの旅でゆったり。ゴールウェイからMICHEAL NEE COACHS(コネマラ地方への地方バス)でクリフデンまでリターンIR£7.クリフデンに着いたのはPM7:00。もうスーパーバリュー閉まってた。

あぁ、懐かしのクリフデン!ブルックサイド・ホステルまで歩いて、あれに見えるは、懐かしのホステル!まずはディーターのおっさんに、ひさしぶり!How Are You,元気?いろいろしゃべってから、お次はリチャードにHi How Are You!ピーターもいました。みんな元気ね。すごい嬉しかった!みんな僕のこと覚えててくれたし。それに新しい人、BARRY(バリー)も楽しくてとても良い人。彼は昨年ここに来ていて、僕が滞在した7月には北アイルランドを旅してまわっていたらしい。今は彼がホステルの掃除やヘルパーをしているらしい。
さてオリビエはというと…。彼女のクレアとフラットみつけてそっちに移動したらしい。いまはどこかのホテルの皿洗いをフルタイムでやってるんだって。この日は彼は見つからなかったので、GUY'S BARで飲んで、おやすみ。

※クイーンズワース…
BRAYの住んでいるとこから歩いて10分のところにあったスーパー。食料品安かった。たしかイギリス系のスーパー。


第74回・9月16〜26 前編へつづく…

 

 ■第74回 16〜26.September・その1 1998/Clifden■
【9月16〜26日 第74回 その1】
今回はブルックサイド・ホステルの名物男、BARRY(バリー)の紹介。


そういえばクリフデンはアート・フェスティバルでした。17日、オープニング・セレモニーをディーター、奥さんのジェーン、バリー、リチャードと一緒に見に行く。学校でオープニングセレモニーが行われ、教室には子どもたちの作品やクリフデン周辺に住む人たちの作品などが飾ってある。あの日本で禅や陶芸を習っていたYAN(ヤン)も自分の焼いた陶器を出品していたので、久しぶりに会うことができた。あとバスケットハウスで会った人たちにも再開することができた。みんな覚えていてくれた。うれしいね。

そして新しく会った人、バリーは「アッシー、君のことはみんなから聞いてるよ。」とさっそく友達になった。実はディーターと同い年(詳しくはいくつか知らないけど)、でも心はもっと若い人。オレこの人、本当に好きです。
「俺のひいおじいさんがアイリッシュで、昔イングランドに移住してきたんだ。俺はまたアイルランドに、じいさんたちのSOULを持ってここへ戻ってきたんだ。」  「俺はブルックサイド・ホステルを、世界一のホステルにしたいんだ!世界中から人々が集まってきて一緒にみんなで話して、飲んで、さわいで、そんな楽しいところにしたいんだ!」 などなど…彼の名言は数知れない。さわぐ時はさわいで、マジメな時はマジメで、ホステルに宿泊客に気軽に話しかけ、みんなを誘って夜飲みに行く。
そんな彼の口癖は「いいかんじ」の意味の「SOUND!」と、「ファッキン・オーセム(うろ覚え)」、これは“力強い”とかの意味らしいが、“スゲーよ!”みたいなカンジ。若い人たちがよく使う“スゲー”っていうのとは違くて、もっと前向き、上昇志向カンジ。きっとこの人は若い時にとてもたくさんの経験をして、いま若い人たちに希望をあたえる役目をしてるんだと思う。静かに話をしているときにフト垣間見える、遠くを見る目。年取ったらこういう人になりたいな。いつでも希望と愛を、体中から発散している人。

第75回・9月16〜26 その2へつづく…

 

 ■第75回 16〜26.September・その2 1998/Clifden■

【9月16〜26日 第75回 その2】
今回はブルックサイド・ホステルで会った、日本人旅行者のはなし。

こっちに来て会ったのは、ホステルに泊まりに来ていた日本人3人。ともお君ことトムー、仙台からヒロシ君、埼玉の人なのに友達の関西弁がうつちゃったコトコちゃん。
コトコちゃんは、のほほ〜んとしたしゃべり方で、オランダを旅行してからアイルランドに来たんだって。イニシュボーフィン島で2日間ぼ〜っとしてきたとか。ヒロシ君は仙台の大学に行っていて、卒論を“アイリッシュ・パブ”にしようと来たんだって。取材と称して毎日パブに通っているらしい。ぜひその卒論を完成してほしいものだ。
さてもう一人の問題児トムーだが、彼は芸大・工芸科に通っているジャズドラマー・パーカッショニスト。僕がバウロンを買いに行く時一緒についてきて、店員が演奏するのを誰よりも興味を持ち、「こーするの?」「もう一回やって」など日本語と身振り手振りで何度も演奏させて、おかげで他のお客さんもわんさとつめかける。このバウロン・メーカーの社長がたまたま来ていて、バウロンにサインまで書いていった。僕がほしい!と思ってたやつ、イチバン高いやつ、しかもイチバンかっこよくて、IR£125もするのでどーしよーかなーと悩んでたヤツ…。ここで買わなきゃ男がすたる!と変な気持が高まって、とうとう買ってしまった。バウロンの話を続けると、いままでハウカに教えてもらったがサッパリできなかった叩き方が、自分のバウロンを買ったとたんにできるようになった。なんだ、カンタンなことだったんだ、って感じ。

トムーの話に戻ると、彼はもう演奏するのが楽しくてしょうがないってカンジ。最初は2日間で移動するつもりだったらしいが、日本人いるし、フェスティバルやってるしで「残ることにした」と。英語サッパリわからん、と言って日本語と身振りと笑顔で通してしまう。人と話をしているときでも「こいつ何言ってるかわからん」と本人の目見て言うし、コワイものナシ!って感じ。怖いのは彼女らしくて、この旅で彼女を置いてけぼりにしてしまったので、お仕置きに毎日手紙を書かなきゃいけないって、毎日眠い目をこすりながら書いていた。
そんな彼でもチャランポランにやってるわけじゃなくて、本当にいろいろな事考えているようだ。彼はそれを悩まずに、笑い飛ばす。それが彼のいいところ。周りの人間を笑顔で幸せにする。当然人も寄ってくる。人を軽蔑するとか見下すとか決してしない。クリフデンにいるあいだちょっとつるみ過ぎたが(「アッシーさん、どこいくんすか〜?」「じゃあオレも行こう。」ってお前いつもついてくるな!一人で動け!)、でも彼がいたおかげで、クリフデンが明るくなった。それはとてもいいことだね。

第76回・9月16〜26 その3 へつづく…

 

 ■第76回 16〜26.September・その3 1998/Clifden■

【9月16〜26日 第76回 その3】
今回はブルックサイド・ホステルでの常連、DIETARのはなし。

ディーターも相変わらずそのまんまでした。あのドイツなまりの巻き舌英語でたくさん話をしました。この人も本当に好きだな。オレのことちゃんと認めてくれている人の一人だね。
24日(木)はクレガン(※)近郊のディーター&ジェーン夫婦宅にお邪魔して彼の興味深いコレクションを拝見した。そのひとつ、切手コレクションは、アイルランドのみならずヨーロッパ諸国、そして日本の切手も多い(本当に彼は日本が好きみたい)。日本の切手といっても現在のではなく、戦前のもの、東京オリンピック、大阪万博、満州帝国日本領、沖縄米国領時代などなど…。すごいコレクション。アイルランドの古い切手をたくさんいただきました。
もっとすごいのは、各種様々な海の生き物コレクション。貝殻からエビ、カニ、海藻、ヒトデ、ウミウシのミイラなどなど…さすが海に近いところ、珍しい生き物のがいっぱい。特に「オイスターバスター」という貝はドリル状の針を出して牡蠣の殻を破り中身を食うのだとか。ちゃんと貝殻にドリル用の穴があってナットク。
庭には野菜が植えてあり、家の周りはなにもない!きっとこの夫婦はアメリカン・フロンティアのごとく何もないこの地に住み着き、いろいろ苦労もしながらもそれでも楽しんで、ここまで築き上げていったんだろうなぁ、と思った。ここに住み始めたころの写真を見せてもらった。若い時のディーター、ひげもじゃだ!目つきも今よりも鋭い!ジェーンも髪短いし。

この日はみんなで談笑して、バリーが作ってくれたスパゲッティをたらふく食いました。だってディーターが
「残ってるんだ、アッシー、全部食え」って。そういうのがまた、この人のいいとこかな。
暗くなってから外に出ると、木も山もないただ広がる風景に、西の海の向こうがボウッと明るくなっているのが、不思議な光景で見入ってしまった。

※クレガン…Cleggan。クリフデンの西にある港町。イニシュボーフィン島への船発着場。

第77回・9月16〜26 その4日へつづく…

 

 ■第77回 16〜26.September・その4 1998/Clifden■

【9月16〜26日 第77回 その4】
今回はクリフデン・アート・フェスティバルのはなし。

フェスティバルはいろいろあったけど、全体的にさみしいカンジ。パブでのセッションなども1・2回ぐらいしか面白いのなかった。金をとるセッションはだめですよ!(※1)
よかったイベントは、最終日の花火(日本から比べたらショボイけど)と、その後のANU-NA(アヌーナ)のコンサート。クリフデン・カテドラル(カトリック教会)の中で綺麗なコーラスを披露してくれた。登場するときはメンバー全員が黒い修道僧のような服を着て、蝋燭を手にゆっくりと唄いながら登場してくる。地方とはいえ日本の教会よりもずいぶん大きく石造りの教会全体に何重にも重なって歌声が響く。なんと幻想的なことか…。
ホステルに泊まってるオーストラリアからのエミリーと二人でよかったね〜、としゃべりながらホステルに帰ってきたら、バリーとディーターがムスッとした顔でなにやら論じ合っていたよう。僕ら2人も捕まって意見を聞かれたが、オレは英語わからんって顔してたからスルー、エミリーはとうとうとディーターに説教されていた。ごめんね、エミリー。
さて、ANU-NAの前座でどこかの高校生たちが吹奏楽を演奏したのだが、その子達数十人はブルックサイドに泊まりにきた。彼らが部屋のほとんどを占領、ベッドが足らなくなって常連組のバリー、ディーター、ボブ、フランソワとアッシーは片隅の9号室に詰め込まれ、リチャードの事務室で飯食ったりくつろいだりしていた。そうそう、クリフデンで久しぶりに会ったのは、イングランドから地質学の研究に来ているチャールズと日系人のボブ。彼は前に会った時日本語で話しかけたら「ごめん、顔は日本人だけどボク日本語話せないんだ」と言われたのをよく覚えてる。彼らとはフェスティバル期間中よく飲みに行った。

あのお気に入りの場所にもよく出かけて行ったし、スカイロードにもクリフデン・キャッスルにも久しぶりに出かけて行った。ある日にはオリビエとクレアにもばったり会ったり、帰りにオーストラリアからの旅行者と一緒になって、E.J.キング(パブの名前)で一杯飲みながらいろいろ話した。そういえば9月からオーストラリア人が多くなってきたような…?夏はドイツ人ばっかりだった気がするし…?
あとはティン・ホイッスルの練習をしたりギターの練習をしたり。そうやって毎日が過ぎてしまった。そうそう、パブ・マラーキースでやっていたあのバンド、スゲーかっこよかった!!「コミットメンツ」でギター役だった人のバンド。あ〜名前忘れた…(※2)。

※1 金をとるセッションはだめですよ!
   …ホテルでやってたコンサートのこと。当時セッションとコンサートの区別もよくわかってなかった。恥ずかしい発言です…。

※2 「コミットメンツ」でギター役立った人のバンド
   …グレン・ハンサード率いるバンド「ザ・フレイムス」。今となっては小さなパブで、超人気バンド、ザ・フレイムスを間近で堪能できたことはとても幸運なことでした。本当にカッコよかった!!

第78回・9月27日へつづく…

 

 ■第78回 27.September 1998/Clifden■

【9月27日 第78回】
で、とうとうクリフデンを去る日が来ました。
ここでいろいろ土産買ったり、セーター(£30!)買ったりで結構お金使ったなぁ…。と思ってたらリチャードが宿泊代をほとんどタダにしてくれた!「また帰ってくるしな」だって。もう泣いちゃおうかと思いました。
朝ホステルを出る時みんなとお別れのあいさつをした。ピーター、ボブ、フランソワ、リチャードとはまた抱き合って別れを交わし、ディーターは相変わらずクールで、オレが「また来ます」って言ったら、「なに、また来週くるさ」だって!本当にこの人ったら!そしてバリー。この人とは本当に仲良くなれた。考えてたセリフも言えなかった。涙出そうになった。

オレが「○○日にここを出ます」って言った時、頭抱えて「チクショウ!いいやつはみんな行ってしまうなぁ!でもそれで良いんだ。みんな旅をして必ずここに戻ってくるから!」って言ってたのを覚えてる。この人は皆を愛し、皆に愛されている。自分の昔話をする時自然に涙が出てくるみたいで真剣になるけど、それを乗り越えてるから、全員を愛することができるし、全員を認めることができる。
みんな本当にありがとう!僕は9:15のマイケル・ニー・コーチに乗ってクリフデンを去りました。バスの中で本当に泣けてきた…。

で、BRAYに戻ってきました。数日前電話したとき、ミックが何やら言ってたのを俺が理解できなかったのですが、ナツコさんアキがもういなくなってるのかと思ってた。実はアキは次の日から学校がはじまりブレイからダブリンまで通わなくてはいけなくなって、ナツコさんはロブと一緒ににダブリンの近くにハウスシェアをみつけて火曜から引っ越すそう。あれまぁ。
その日はとりあえず寝ました…

第79回・9月28〜29日へつづく…

 
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