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07
CLIFDEN(第32回〜40回) |
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Diary
> 第一回渡愛 ひとり旅 1998 |
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01
はじめに (第1回)
02 出発→LONDON(第2〜7回)
03 アイルランド上陸(第8〜14回)
04 ダブリンへ(第15〜19回)
05 ATHLONE→GALWAY(第20〜23回)
06 CLIFDEN(第24回〜31回)
07 CLIFDEN2(第32回〜第40回)
08 アイリッシュ・ミュージック(第41回〜48回) |
09
北へ(第49回〜54回)
10 KILCAR・CARA'S HOSTEL(第55回〜59回)
11 海こえて(第60回〜68回)
12 BRAY・イーリアンパイプス(第69回〜72回)
13 CLIFDEN ART FESTIVAL(第73回〜78回)
14 再びBRAY・イーリアンパイプス(第79回〜87回)
15 さらば、アイルランド(第88回〜94回)
16 最終回おわりのことば |
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■第32回 8.July.1998/Clifden(Co.Galway)■ |
【7月8日 第32回】
昨晩すごい苦しかった。朝起きたら、絶不調!こりゃイカン、完全に風邪ひいた。
なので本日は食料買い物だけしてあとはホステルのなかで作業する。昨日からプラネタ(リウム)の脚本ネタをひとつ思いついたので、それを進める。一日中調子悪し!
余談。ワールドカップ・フランス大会、決勝はフランス×ブラジルに決定!
第33回・7月10〜11日へつづく…
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■第33回 10〜11.July.1998/Clifden■ |
【7月10〜11日 第33回】
なにしたか憶えてない。ビーチロード(※1)へ歩いていったり、スカイロードに行ったり、スカイロードの頂上付近でボーっとしてたり。昨日はちょっと弱気になっていたが、ホステル内にいろいろと話す友達ができたりして元気が出てきた。
11日はU.S.A.テキサスから自転車旅をして来たKYLE(カイル)と、オーストラリアから、大学で音楽を専攻しているSUSAN(スーザン)がバウロンを買ってパブリックスペースでみんなで試し叩きした。本当言うと誰も叩き方を知らなかったので、こうかな?どうだったかな?と皆で試行錯誤。僕も触らせてもらった。んーっ、なんとなくカンジはつかめたかな?
※1ビーチロード…クリフデン港から西へ海沿いを続く散歩道。とても気持ちよい。夜はカップル達がいることが多い。ずっと歩いていくとスカイロードにつながる。
(以下、帰国後の書き足し)-------------------------------------------------------------
10日、面白いことがあった。ドイツから来ているBINGO(ビンゴ。本名TANJAタンニャ)と、一緒に朝ご飯を食べようとした時の会話。
あっしー(以下Ashi)「いただきまーす(日本語で)」
ビンゴ(以下Bing) 「なんて言ったの?」
Ashi 「日本ではご飯を食べる前に必ず“いただきます”っていうんだよ。何かを食べる前には必ずね。」
Bing 「へぇ。私たちは、家族でいる時とかお祈りするわよ。それ、どういう意味なの?」
Ashi 「食べ物の材料、豆とか肉とか、穀物や牛などは生きていたのだから“彼方の命をいただきます”という意味。」
Bing 「!!??それ、おかしいわよ。」
Ashi 「なんで?」
Bing 「だって食べ物は、神様が与えてくれるものよ。神様に感謝するならわかるけど、食べ物に感謝するのはおかしいわ。」
Ashi 「いやいやいや、たしかにキリスト教だとそうなるかもしれないけど、僕ら日本人は動植物などの命を殺して食べることを、彼らに対して“彼方を食し自分の血肉にします。ありがとう。”と感謝するんだよ。」
Bing 「いや、おかしい。すべての命は神様が創られるものよ。それなら神様に対して言わなきゃ。」
Ashi 「いや、だからー…」
…と話は平行線のままウヤムヤに終わった。彼女には日本人の“いただきます”の意味を理解してもらえなかった。彼女もキリスト教の考えにずいぶん凝り固まっているカンジ。そういえばドイツって新教発祥の地だもんね。ドイツ人ってみんなこうなのかな…?
他にこんなこともあった。
いろんな国の人たちとみんなで話している時、たしか、オリビエだったかな?が僕に質問した。
オリビエ(以下Olivi) 「日本人のうち、神道(彼は“SHINTO”と言った!)と仏教信者と、何パーセントづついるの?」
あっしー(以下Ashi) 「お、オリビエ神道なんて知ってるんだ。」
Olivi 「それぐらい知ってるよ。」
Ashi 「でもね、皆はっきりと“オレは仏教”“オレは神道”とかきめてないよ。神社にも行くし、寺にも行くし。(※2)」
Olivi 「!?どういうこと?」
Ashi 「どっちも信じてるし、どっちの信者でもない。もちろん坊さんや神主さんのような人もいるけど、ほとんどの人はどっちも信じてるし、どっちの信者でもないなぁ…。」
この話も、その場にいたフランス人(オリビエ)、ドイツ人、アメリカ人などにはうまく飲み込めなかったようだけど、数人のアイルランド人は理解していた様子。
もちろん僕に英語会話力があれば理解してもらえたのかもしれない。しかしヨーロッパ人たちと日本人の信仰の違いが浮き彫りに見えて面白かった。(1998年11月)
第34回・7月12日へつづく…
※2神社にも行くし、寺にも行くし…日本は明治維新前は、神社も寺もいっしょの境内にあったし、区別なんてなかった。明治維新のとき日本は列強国と対等になるには、きまった宗教がなくてはいけないと天皇を神とする宗教を作り上げようとした。その時「神・仏分離」という作業が行われ、神社と寺は分けられるようになった、と本で読んだ。西洋人にとっては分離した後の日本しか情報がないのかもしれない。しかし日本では今でも神も仏も生活の中に混ざっています。意識もせずに自然に。
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■第34回 12.July.1998/Clifden■ |
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【7月12日 第34回】
特にたいした事があったわけではないが、昼に歩いてゴールウェイのナショナルロードからホステルの裏にでる道を見つけた。すごい道だった。急に視界が開けて、はてしなく荒涼としたコネマラの風景とその中のオアシスを見た。こういう泉にこそ、夜中に妖精が出てくるのかなぁ…とか思ったり。
で夜、メシでも作ろうかなと部屋を出たら、別の部屋からPLANXTY(プランクスティ※)の曲がフルートで聞こえてくる!?なんだコリャ、すごいウマイ!と思ってドアノック。さっそくセッションを申し込んだ。
彼はスペインから来たKIKO(キコ)。とてつもなくフルートとホイッスルがうまかった。そういえばスペインのガリシア地方は少々ケルト色が残っているんだとか聞いたことがあったなぁ…。
それにしても僕がギターでついていくのが大変で、こりゃートラデッショナルというのは、ちょっとやそっとじゃ演奏できないぞ…!
しかし良い経験をした。キコ、ありがとー!
第35回・7月13日へつづく…
※PLANXTY(プランクスティ)…1970年初めクリスティ・ムーア、ドーナル・ラニー、アンディ・アーバイン、リアム・オフリンの四人で結成されたアイルランド伝統音楽バンド。伝統歌とチューンをつなげたり、ブズーキ+マンドーラ+ギターのアンサンブルによるチューンのバッキングなど、新しい解釈でトラデッショナル音楽を演奏し、アイルランドのみならず世界の若者にも「伝統音楽ってカッコイイ」と思わせた、革命的な音楽を演奏した。
あっしーは渡愛前、プランクスティのファーストアルバムは聞いていた。そしてイーリアン・パイプスの音に憧れていた。
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■第35回 13.July.1998/Clifden■ |
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【7月13日 第35回】
カゼひいた。ハナがじゅるじゅるいう。スゲーだるい。今日は外出ナシ。
中で少々作業してから両替だけしに行って、裏の芝生に椅子出してギター弾いてた。そしたら昨日からホステルに宿泊している女の子がティン・ホイッスル持ってきた。はじめは寝ころんでたが、その後で一緒にセッションした。いろいろな曲のスコアを持ってたので、コード表をたよりに弾きました。彼女はフルートずっとやっていたらしい。
しまった、名前聞くの忘れてた…(後でききました:帰国後追記)
番外編:ブルックサイドホステルの住人たちへつづく…
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■番外編 ブルックサイド・ホステルの住人達/Clifden■ |
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他にマネージャーのリチャード、オリビエなどが常連メンバー。
第36回・7月20日へつづく…
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■第36回 20.July.1998/Clifden■ |
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【7月20日 第36回】
またまたいい経験をした!ホステルの客の中にフィドル(※1)プレーヤーがいて、一緒にセッションしてしまったのだ!しかもアイリッシュ(ダンス)チューンだ!むずかしーゾ!でもいわゆるコードだけはずさなければ、なんとかついていけそうだ。あとはリズムだ。大切なのはリズムだから。転調するところ(※2)は彼女に“A”とか“G”とか叫んでもらい、なんとかオレがついて行くというカンジ。でも余裕がなかったね。もっと相手プレーヤーを見てやらなければ。でも自信がついた。俺だからできたんだ!
彼女はU.S.A.から来てるんだけど、CLARE(クレア※3)でトラデッショナルを勉強してきたとか。時々つまずいたりリズム外したりするけど、そんなこといったらあっしーもまだまだなので…ゴメンナサイ。
その後はダイアンとアイリッシュ・バラード・セッション。こっちは楽譜をにらみつけての共演でした。でも面白かった!
第37回・7月20〜22日へつづく…
※1 フィドル…Fiddle。バイオリン。民族音楽を演奏する場合は「フィドル」と呼ばれる。「屋根の上のバイオリン弾き」が弾くのもフィドル。あれは舞台がポーランドで音楽はクレズマー風ですが。
※2 転調するところ…アイルランド伝統音楽のダンス曲(ダンス・チューン)は、2〜4曲など数曲をつなげて演奏する。一曲目の基音が“D”で二曲目の基音が“G”とか、様々なキーの違う曲を色々な組み合わせでつなげてゆく。僕はこの時点でその仕組みを理解していなかったため、一曲の中でキーが転調すると思っていた。
※3 CLAREクレア…Co.Clareクレア県。アイルランド西部の県。伝統音楽がいまでも盛んな地域。上記イラストの「クレア州の短期音楽学校“ミルタウン・モウベイ”」は、ウェスト・クレアの町ミルタウン・モウベイで毎年7月一週目に開かれる「ウィリークランシー・サマースクール」の事(当時彼女の英語を聞き取れなかった)。世界各国から伝統音楽を習いにミュージシャンやダンサーがやってくる。日本人の参加者も多い。
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■第37回 20〜22.July.1998/Clifden■ |
【7月20〜22日 第37回】
7月のとある日曜日、オリビエと彼のバイト仲間のフランス人2人と、車に乗ってWESTPORT(ウェストポート)という町に遊びに行きました。その時の様子を絵日記でどうぞ。
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■第38回 23.July.1998/Clifden■ |
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【7月23日 第38回】
昨日からダブリンに出てました。用事を足してアイザック・ホステルで一泊してから今日昼のバスでクリフデンに帰ってきました。もう家みたいね。
ブルックサイド・ホステルで日本人ミッチーに会う。ダブリンの語学学校に通っていたけど、今休学してひとり旅しているらしい。日本米(※)炊いて、ダブリンのアジア食材屋で買ってきた袋ラーメンもつけて「ラーメンライス」をご馳走する。ダブリンではフランス人の学生と一緒にシェアしていたが、彼がお金にルーズでやだったとか、色々話をした。ギターも弾いて聞かせた。喜んでくれてテープを買ってくれた。おぅ、二人目だ!
その夜、ダブリンの楽器屋さんで買ってきたピックアップ(ギター用マイク)をつけてさっそくパブで演奏。音はGOOD!だけど演奏トチった。ダメね。
第39回・7月24〜29日へつづく…
※日本米…本当は“お菓子用ライス”
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■第39回 24〜29.July.1998/Clifden■ |
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【7月24〜29日 第39回】
なにやったか覚えてない。朝起きて、朝飯食って、ホステル掃除して、いつものお気に入りの場所に行ってボーットしたりイメージ湧かせて絵描いたり、帰って晩飯食って寝る、そういう毎日でした。
でも色々な人としゃべった。良い経験だ。家は近所のCLEGGAN(クレガン)だけどしょっちゅうホステルに遊びに来ている常連、ディーターとよくしゃべった。それに、(マネージャーの)リチャードは僕が毎日掃除をしているので滞在最後の一週間は宿泊代大幅ディスカウントしてくれるって。すごいうれしい!
28日は、スペインから来ている女性とドイツから来ている女性(2人とも名前忘れた…ゴメン)とは、ホステル常連のみんなとすごい仲良くなった。それぞれ違う国から集まった仲間として、それぞれの国の事情や習慣の差異の話しなど面白かった。ドイツ人女性は日本を旅したいけど「値段高いし、日本語全然わからないし、英語しゃべれたら日本旅行できるかしら?」といろいろ質問された。確かに日本は宿泊代や電車代たかいなー。
29日、彼女らがホステルを出る時言った言葉が、耳に残っている。
「Thank you International Family!」
来週の日曜日(8/3)にクリフデンから次の地へ行くことに決めた。
第40回・7月30〜31日へつづく…
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■第40回 30〜31.July.1998/Clifden■ |
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【7月30〜31日 第40回】
オリビエの彼女が、仕事をしにフランスから来た。あまり英語ができない彼女と僕がしゃべると、お互い英語辞書を見ながらだから会話になりづらい…。
結局バンドははじまらなかった。30日は最後の演奏をしにパブ・マラーキースに行く。僕の歌ではウケないことがわかったので、プランクスティのCDの中の一曲を、ギターとハーモニカでコピーする(※1)。この演奏が一番反応があったようだ。でも他のはダメ。やっぱりオレのはウケないらしい。しょうがないよ、何か足らないんだよ、オレは。もっとがんばらなきゃ。
31日はリチャードに相談して次の滞在地を決める。
「アッシー、メイヨのアキル・アイランド(※2)でミュージック・フェスティバルが来週から始るよ。行ってみるか?」
ほう、ミュージック・スクール。それは興味あるなぁ。じゃあウェストポート(※3)で一泊してからそこに行ってみよう。リチャードがオマケしてくれて、ブッキング料金をタダにしてくれた(※4)!ありがとう!
マラーキーズのフリーセッションで会った、京都で禅を勉強してたヤンともよくしゃべった。彼はモーターホームに乗って旅している。そのモーターホームも見せてもらった。炊事場もトイレもついている。カッコイイ!あこがれるなぁ。
誰かに言われたけど、僕はギターのおかげで本当にたくさんの友達ができた。日本を出発する時ものすごく不安だったけど、そんな心配することじゃないなって、わかった。自分から話し掛ければ、ちゃんと返ってくる。こちらが黙っていれば、何もない。単純明快、それだけのことだって、クリフデンでよくわかった。
月曜日にはウェストポート、火曜日からミュージック・フェスのあるアキル・アイランドへ。はたして何が僕を待っていることやら…。クリフデンのような出会いが、沢山あるといいなぁ…。
※1プランクスティのCDの中の一曲を、ギターとハーモニカでコピーする…
この時コピーしたのは「Si Bheag Si Mhor」。原曲はイーリアン・パイプスでDのキーで演奏されてるが、ハーモニカの都合上Gでコピー。ハーモニカホルダーをしながらギターで伴奏、というものでした。
※2メイヨのアキル・アイランド…Achill Island
Co.Mayo。西部メイヨ県の西の端の島、アキル島。島といっても橋でつながっている。アイルランドでは数少ないビーチがあり、バカンス客の多い観光の島でもある。
※3ウェストポート…Westport Co.Mayo。西部メイヨ県の中心街。といってもちっちゃい町。チーフタンズのフルート奏者マット・モロイの経営する有名なパブがある。当時は目の前を歩いてるのに、そんなこと全然知らなかった。
※4ブッキング料金をタダにしてくれた…
ブッキング(Booking 宿予約)はアイルランド・ホステル協会同士の場合、ホステルで予約すると「ブッキング手数料」が取られた(たいした額ではないとおもったけど)。国際ユースホステル協会はどうだったかな…忘れた。自分で宿予約すればもちろん手数料は取られません。
第41回・8月1〜3日へつづく…
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ASHI
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