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第一回渡愛ひとり旅 1998 TOP> 15 さらば、アイルランド(第88回〜94回)
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01 はじめに (第1回)
02 出発→LONDON(第2〜7回)

03 アイルランド上陸(第8〜14回)
04 ダブリンへ(第15〜19回)
05 ATHLONE→GALWAY(第20〜23回)
06 CLIFDEN(第24回〜31回)
07 CLIFDEN2(第32回〜第40回)
08 アイリッシュ・ミュージック(第41回〜48回)
09 北へ(第49回〜54回)
10 KILCAR・CARA'S HOSTEL(第55回〜59回)

11 海こえて(第60回〜68回)

12 BRAY・イーリアンパイプス(第69回〜72回)
13 CLIFDEN ART FESTIVAL(第73回〜78回)
14 再びBRAY・イーリアンパイプス(第79回〜87回)
15 さらば、アイルランド(第88回〜94回)
16 最終回おわりのことば
 


第88回第89回第90回第91回第92回第93回第94回

 ■第88回 18. Oct 1998/Bray to Enniscorthy■
【10月18日 第88回】
さて今日はエニスコースィーへの移動日。バスの時間は15:30なので、その前にとりあえず難関のパッキング。なんとかまとめてミックにお別れ。握手もしました。ホントにありがとう。夕べ写真も撮ったから送りますね。
アキに手伝ってもらってバスが来るらしいところへ。15:10ぐらいについて待ってるが、待てど暮らせどバスきやしねー!16:15まで待ってもまだ来ないので、諦めて電車で行くことに。駅まで移動して、次の電車見たら18:58!?2時間ちかくここで待たなきゃいけないの!?

アキの「これも旅だよ」という言葉が、妙にナットク。ごめんね、アキ。先に帰ってもらいました。手紙書くからね。
で、寒い中2時間待って、やっと電車に乗れました。次の駅グレイストーンから座れて、寝て行きました。

21時頃エニスコースィー到着。ピーターいました、おなつかしや!家まで送ってもらって、ロージーも元気でした。夕飯ごちそうになった。やっぱりここのメシはうまいなー!そういえばいままでほとんど自炊だったんだ。しかも2週間ぶりのシャワーも浴びて、いうことなし!
といいたいところだが、この家ではタバコが吸えない…
ま、ガマンだ。オヤスミ…  

第89回・10月19日へつづく…

 

 ■第89回 19. Oct 1998/Enniscorthy■
【10月19日 第89回】
ピーターとロージーが日曜日から月曜日いないと聞いていたので木曜日(20日)の夜にフェリーをブッキングしてのだが、彼らは予定を変更していて家にいた。というわけで今日は何しよう?と思ってたら、三人でドライブに出かけた。ウェックスフォードからロスレアも抜けて、キルモア・クレイという小さな港町(というよりは漁村)。ちっちゃな町で、漁船がきれいだった。ケリーやコークなど南西の方には行ってないのでどんなところだか知らないけど、ここはちょっと洒落てる感じ。ずっとクリフデンにいてコネマラの荒涼とした風景や荒れた海を見ていたからかな?やっぱり西と東は違いますね。ブレイの海もそう感じたけど、内海?だからか静かなカンジ。ピーター曰く「West is Wild」。そのとうりです。
家に戻ってから、僕の買った楽器を見せた。喜んでいた様子です。こっちの方は特に伝統音楽が盛んではない様子で演っている人も少ないイメージ(※1)。みんな伝統楽器の知識も薄く感じる。そう考えると、日本に来ている外国人の方が、日本の伝統音楽などをよく理解しているのかもしれない。ジョディ(※2)のように。オレも気抜いてらんないな。

写真上は、ピーター&ロージーの家のキレイな庭。
写真下は、エニスコースィーの町。

※1こっちの方は特に伝統音楽が盛んではない〜
…これは大きな間違いでした。アイルランド南東部には伝統音楽で有名な家系が代々伝わっています。それに3〜4年後、この町(エニスコースィー)で伝統音楽の祭典フラー・キョールが催されました。

※2ジョディ
…高山時代の友人。カナダ人。和太鼓を熱心に習っていた。日本人と結婚して高山に住んでいる(まだいると思う)。


第90回・10月20・21日へつづく…

 

 ■第90回 20,21. Oct 1998/Enniscorthy to London■
【10月20,21日 第90回】
今日はアイルランド島にいる最後の日です。
天気予報ではすごい嵐、窓の外も嵐、ちゃんと船が出るか不安。アイルランドに来た時と同じルートで帰る。ちょっと思い出深い。
朝メシ、昼メシ、夕メシまでごちそうになって、19:30頃ピーターにウェックスフォードまで送ってもらいました。ピーター、ロージー、本当にありがとう。僕がもうちょっと(英語を)しゃべれれば良かったね…。今度来るときはもうちょっと勉強してきます。
 
さて嵐の中ユーロラインのバスに乗ってロスレア港でそのままフェリーへ。いつの間にかアイルランドを後にしていた。アイルランドで会ったみんなありがとう。また来年も来ます。日本で何をしているかわからないけど。ナツコさんは「もうちょっといればパイプの練習できるのに、もったいない…」と言いたげだったが、まったくその通りだな。でもここで帰ることは、音楽だけではなく、僕自身のこれからの身の振りを決めるためなので、いま帰って問題ないと思ってる。日本に帰ってどれだけできるのか。やれるだけやってみるつもりです。

で、船が出るのを待つわ待つわで、嵐のため出航できず恐らく4〜5時間経ってからやっと船が出せるぐらい波が静まったらしい。出たら出たでモノスゴイ揺れる揺れる!地上の乗り物酔いはしないけど船にはイガイと弱いことがわかった。キモチわるい〜。
やっと着いたペンブローク(ウェールズ)でイミグレイトを何事もなかったかのように通過し再びバスに乗る。(反対側[アイルランド行き]のバスの運転手を見たら、僕が行きに乗ってきたバスの運転手だった!)すこ〜し渋滞に巻き込まれつつ、ロンドンに着いたのは13:00(予定では朝8:00だった)。もう体グデグデだっちゅーのに、重い荷物背負ってカムデンへ。着いたらアンディーに電話して来てもらいました。
よ〜アンディー、元気? 髭伸びてますね。しかも頭髪はあのレッドヘッド(※1)で切ってもらったとか。日本ではチャーリー(※2)と飲んだくれてて、チャーリーの奥さんのアキエさんを困らせてたとか。楽しかった様子で、よかったね、アンディー。
カムデンから皆さんに怒られつつ253のバスに乗り、やっとこクラプトンへ。アパートのカギを反対に回しててしばらく入れなかったけど、やっと気がついて入り、シャワー浴びて、メシ食ったらすげー疲れてて、そのまま朝まで眠りこんでしまいました。

※1 レッドヘッド…
飛騨高山にある、僕の友人が店主の床屋さん。ウデがいいと評判の床屋です。

※2 チャーリー…
高山時代の友人、アンディーの大親友。日本人の奥様と結婚して高山に住んでいる(と思う)。

第91回・10月22日へつづく…

 

 ■第91回 22. Oct 1998/London■

【10月22日 第91回】
アンディーが仕事に行く時に起こしてもらいました。コシがいてーいてー!きっと昨日の253バスの中でず〜っと踏ん張ってたからだ。ヒデーぜあの253、カムデンで乗ってからクラプトンまで毎停留所で止まってたぜ。しかもそのたんびに急ブレーキ、急発進だから踏ん張るのが大変さ!この腰の痛さは以上だぜ!!
腰を押さえながら荷物全部開けてリパックしなおした。それでもたいして荷物減らなかった。風呂に入って腰もんで、なんとか痛みは取れてきた。
午後からハックニーにいって最後のIR£を両替した。£3の手数料とられてレートも低いし、たいしてお金残らなかった。£147。(荷物の)オーバーウェイトでどれくらいとられるか不安だ。またアパートに帰ってからひたすらギターの練習してた。
6〜7時頃に(アパートの)陽子さんが帰ってきたので話をした。8時頃かな、ミーシュが帰ってきてまたちょっと話をした。テレビ観てたら、明日スゲー嵐だってよ!どうして俺はこんなに運がいいのでしょうかねぇ?午前1時ごろにアンディーが帰ってきた。彼風邪をひいているみたいで調子が悪いよう。
あぁ、明日は最後の日かぁ・・・

第92回その1・10月23日へつづく…

 

 ■第92回 その1 23.Oct 1998/London■

【10月23日 第92回】
さて、今日は外国生活ホントの最後の日です。
朝、アンディー、ミーシュ、陽子さん3人にお別れしてから朝飯を食う。自分用の食料は、食パンとマーガリン以外全部終わらせた(残りはアンディーにあげた)。荷物の最終整理をして、アイルランドで買った地図に自分が歩いたところ、通ったところ、訪ねた街を赤ペンで印を付けていった。あーここも行いったわ。ここの行ったわ、とか。
後は特にすることもなかったので、(アイルランドで買った)アイリッシュセッションのテープを聴いて、ノリで自分のテープ(※1)も聴き始めた。やっぱり「少年と海」聴いてたら泣けてくる。少年はザックに荷を詰め込んで、出かけたんだよなぁ。夜中にそっと出て行ったわけじゃないけど。
昼間に山本家(※2) に電話したら、なんと名古屋まで迎えに来てくれるとのこと。ありがたいですね。
アンディーに言われたとおりカギを閉めてから玄関に入れ、15:00頃アパートを出ました。飛行機は18:45発。あぁ、ここでまたフリダシだ。またバスに乗って、ピカデリーラインでヒースロー、ターミナル1.2.3へ。バスは空いてたけど地下鉄は運悪く座れず、ヒースローには結構たくさんの利用者がいてびっくりした。バックパッカーは俺ともう一人ぐらいだったけど。

・・・その2へつづく。


※1 自分のテープ
…飛騨高山時代に作った自作曲のテープ。若かったからなぁ、今だと恥ずかしいけど、「少年と海」という曲だけはいまでも好き。

※2 山本家
…あっしーの実家。

第93回その2・10月23・24日へつづく…

 

 ■第93回 その2 23,24 .Oct 1998/London to Hongkong■

【10月23,24日 第93回】
さて虫の息でヒースローに来て、ターミナル3のキャセ・パシフィックのデスクで搭乗受付。預ける荷物をはかりに乗せたら、なんと51kg!!
オレそんな重さの荷物背負って(持って)歩いてたのか!どうりで重いはずだ!
でも難なく受付してホーッと安心。残った荷物をまとめて二階へ。あ、パブがある。飲みたいな〜けど小銭ないしな〜くずしたくないし…ブリテン・コインなんて増やしてもしょうがない。しかたがないのでバーガーキングでコーラ飲む。
あとはセキュリティを通って、ゲート17に行って、搭乗。あ〜あ、ケッコウ単純。ここまでは全然気持ちがわかなかったが、飛行機のシートに座ったとたん、「俺、これでアイルランドからはなれちゃうのかぁ…なんかもったいない気がする、もう少し…」。といったところで後の祭り。しかたがないね。またくるしかないよ。そう思って荷物を上の棚に上げた。ちょっと苦労した。
18:45発の飛行機は遅れて19:30出発。夕飯食ってからこの日記を書いた。映画面白かったなぁ。ジム・キャリーの「The Truman Show」というやつ。また日本語で観たいな。そのあとの中国の映画もよかった。「Concert of Life 生命如歌」ピアノを弾く男の一生の物語。
眠る前に僕がこの旅を始めてからの一つ一つをさかのぼって思い出してみた。すごい、5か月分ほとんど覚えている。一日一日を思い出して、みんなにまた会ってきた。

機内朝(ロンドン時間では朝4:00)朝食をとって、ロンドン時間6:45/香港時間13:45香港到着。僕が大勘違いをしていたことに気づく。20:00発だと思ってた名古屋空港への便は15:00発だった!ちょっと待てって!休む暇なく空港を走ってゲートに入れたが、父ちゃんに間違った名古屋着の時間を教えてるかも知れない…アワワ。
とりあえず日本(横浜)での数日間は、アイルランドでの日記を整理すること、荷物を整理(※)すること。日記はイラストをたくさん入れて、発表できる形を作ろう。

 ・・・その3へつづく。

※荷物を整理
…アイルランドに出発する前、高山の家をひきはらって、なるべく少なくした全荷物を横浜の実家に置いておいた。その整理が必要だった。

第94回その3・10月24日へつづく…

 

 ■第94回 その3 24 .Oct 1998/Hongkong to Taipei to Komaki■

【10月24日 第94回】
香港→台北は15:30発16:40着予定。台北でとりあえず人を降ろして、簡単な掃除をして、再び搭乗。やっぱり到着時間は思った通りで、21:00に小牧(名古屋空港)に着くみたい。よかった。少々客を増やして19:00再び出発。
飛行機の中で面白かったのは、日本人のオジサンが外国人(中国人?)のフライト・アテンダントに向かって
「ねぇ、名古屋の天気わかる?ナゴヤの天気。わかってるのかな・・・?テ・ン・キ!」
と必死に日本語で聞いてるのだがフライト・アテンダントは理解できてない様子。う〜ん、テンキをゆっくり言っても通じないだろ。でも日本行きの飛行機に乗っているフライト・アテンダントならもう少し日本語勉強しててもいいだろうに。

小牧(名古屋)空港21:20着。出るまでにひと悶着あった。
荷物検査でアイルランドで買った巻煙草(専用の巻紙に自分でハッパをくるんでつくるタバコ)の巻紙を持っていることについて質問され、ヤクでも持ってるんじゃないかと荷物全部開けさせられたこと。せっかく詰め込んだのに…。しかし容姿が怪しかったのかもしれない。僕の後ろでは「ボリビアからの到着客がいるぞ!」と検査の人に声がかかり、僕は通してもらった。たしかにボリビアからの方があやしいかも・・・???

無事日本到着。迎えに来てくれた両親に車で横浜まで送っていただきました。

・・・「おわりに」につづく

 
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